全日本コーチブラン氏が語る
バレーボールのプレースタイルの変遷
伝説の名セッター猫田勝敏のプレーが観れます。
世界の大逆転劇
FIVB volleyball history
1964年東京オリンピック 東洋の魔女
(2018年)
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2018年1月17日水曜日
2018年1月1日月曜日
(コーチ向け記事)バレーボールのコーチング再考
Let me express the greetings of the season.
I wish you a Happy New Year 2018!
We love volleyball.
2018年、新年あけましておめでとうございます。
昨年もコーチやプレーヤー、ファンの方々にたくさん支えられました。ありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
実は2017年年末にと東南アジアの国に行ってU15世代のチームと交流することができした。
そこでは、決定的な指導アプローチに違いを感じました。そして、中学生のアティテュードにも明かな違いを感じました。
ただ、「感じた」「見えた」というのが、あくまでも主観的な要素が多いし、それが何によって生み出されているのかが分からないままなので、日本の子たちに何をどうしたらよいかははっきり言えないのですが、ただ漠然と日本でのバレーボール指導は、これからもう一段も二段もステップアップさせていかないと、ますます世界の中で遅れをとるのではないかという、直感的な危機感におそわれたのでした。
その国のトップレベルのU15チームと交流、対戦しました。ボールコントロールなどは、日本で言われるところの「美しさ」があるというより、外見上の粗さがあるようにも見えるのですが、ゲームにおいてまずボールが落ちません。ブロックは1枚になることはあまりなく、サーブも明らかに訓練されていました。特にセッターの通り道とクイック封じのコントロールサーブ、そしてサイドラインターゲットなどは訓練されていました。セッターとリベロも上手かったです。
個々のボールさばきには個性が多少あっても、チームとしてはかなり組織化されていて、ポジショニングの正確さも見事でした。
コーチたちは、妥協しないところは妥協せず指導し、練習やゲームが終わったあとは、徹底的にミーティングしています。「ベーシック」という言葉をしきりに私たちにも言っていましたが、基本という概念も日本とは違うような気がします。「ボールを落とさない」、「自分の周辺ボールは落とさない」、「アタックは積極果敢に」、「ポジショニングを考えろ」・・・何か要求ゾーンには幅がありながらも当たり前なことを徹底させているような気がします。
選手は日本の中学生と比べると、かなり大人びていて自立している印象を受けます。彼らの立ち振る舞いや練習態度から感じたことです。そして選手はみんな、自分がバレーボールが好きだからという気持ちがにじみ出ているのも印象的でした。
日本のバレーボールの指導が、これからますますアップデートをしていかないと、いけないような気がします。
バレーボールの歴史は、時代とルールの変遷によって、大きく変化していました。トレーニング方法も変わってきています。ところが日本のバレーボールの指導内容やアプローチ、指導観は、世界の変化に比べて、アップデートが鈍いです。
よくナショナルチームレベルで、戦術論やプレー論が比較考察され、議論が展開されていますが、私は育成世代で世界で何が行われているのか?どんなタクティスやツールを用いてコーチングされているのか?それがトップカテゴリにどのような影響を与えているのか?それこそが学びたい内容であるし、日本のバレー界の閉塞感を動かす力の一つになると確信しています。
実は、私、大学を卒業して随分たったこの歳になってから、英語を学びたいと思い始め、ちょっとだけ勉強を続けています。これがなかなか上手くならず困っています。
そんな中、外国語学習について、専門家の友人から興味深い話を聞きました。言語の学習にもトレンドが時代とともにあり、変遷してきたというものです。当たり前のことですが、その時代のトレンドもいつか短所が明らかになると批判され、新たなトレンドが構築されていく。そのプロセスが、実は言語学習のみならず、バレーボールの指導にも当てはまる、私が考えていた日本のバレーボール指導のあり方にも符合するものです。
外国語教授法
このサイトに書かれている内容で、
以下、外国語教授法にある文章の一部をバレーボールに置き換えながら
引用しておくと
個人的に考察しているのは、日本のバレーボール指導は、言語学習の変遷で言えば、1960年代~1970年代の教授法が根強く残っていると思います。オーディオ・リンガル・メソッドなどといった教授法が、日本のバレー指導スタイルに近いんじゃないかと思うわけです。
その特徴は、
・型のインプットと反復トレーニング
・型の再現力
・ティーチング要素が強い
・正確さが要求される
・失敗は避けるべきもの
・指導者(コーチ)中心、主導
・項目を順を追って組織的に教える
昨年2017年、バレーボール界の一部では、指導における「プレーヤーズ・ファースト」の概念や「試行錯誤」の重要性が話題になったような気がします。
私は、いずれも「プレーヤーズ・ファーストだ」、「試行錯誤しろ」と指導者が言うものではなく、「そうなるべきもの」だと考えます。
私たちバレーボール指導者は、いかに効率よく勝てるか?いかに効率よく確実にスキルアップできるか?何かいい特効薬はないのか?ばかりを追い求めてきたと思いませんか?要するに、「楽をしてきた」のだと思います。思考停止をしているのは、選手以上に指導者がそうなっているのだと思います。指導者は選手に「考えろ!」という前に、まずは自分自身が「深く考える」ことが必要だと思います。だから短いスパンの一時期で成果が出ない選手(子どもたち)は、バーンアウトしたりリタイヤしたり、発掘のまな板から落とされてしまってきたのです。
言語学習では、指導者からの一方向的な指導だけでは限界があることから、コミュニカティブ・アプローチに軸足が移行していきました。
その特徴は、
・状況への柔軟な対応
・実践力→(言語:コミュニケーション、バレーボール:ゲームセンス)
・学習者からのアウトプット
・個に応じたコーチング
・失敗は習得に不可欠なもの、貴重な教材
・学習者(選手)中心
・「インフォメーションギャップ」「自由な選択があるか」「フィードバック」の3要素を把握、設定する
というポイントがあろうかと思います。これ、言語学習だけじゃなく、バレーボール指導にもまったく符合することだと思います。
強調したいのは、どの指導アプローチが正解かではないということ。
パターン練習とランダム練習
クーロズドスキル練習とオープンスキル練習
スコアリングスキル練習とノンスコアリングスキル練習
分習法と全習法
適宜、どこでどの場面で取り入れるかがコーチの手腕。
そこを日本のバレー指導者が考え方を変えないと、ますます世界に取り残されると断言できます。
小中学生のバレーボールコーチは、もちろんシニアやナショナルチームのバレーボールにも知見を持たねばならないし、コーチングできなければいけないと思っています。逆にトップレベルのコーチやトップカテゴリのコーチは、育成世代の子どもたちや初心者にもより良い指導を提供できなければならないと考えています。
でも、日本では世界の中でもさかんにバレーボールが行われているにもかかわらず、指導者は自分のカテゴリに安住してあぐらをかいているのではないでしょうか?もっと指導の在り方やメソッドの内容を掘り下げて学び、さまざまな場面でさまざまな対象者に常に良いコーチングを提供できなければいけないと思うのです。
2018年は、今まで以上に、日本のバレーボールの「指導者」や「コーチング」に焦点があたることを期待しています。
本年もよろしくお願いいたします。
ああ、英語が話せるようになりたいです(笑)
(2018年)
I wish you a Happy New Year 2018!
We love volleyball.
2018年、新年あけましておめでとうございます。
昨年もコーチやプレーヤー、ファンの方々にたくさん支えられました。ありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
実は2017年年末にと東南アジアの国に行ってU15世代のチームと交流することができした。
そこでは、決定的な指導アプローチに違いを感じました。そして、中学生のアティテュードにも明かな違いを感じました。
ただ、「感じた」「見えた」というのが、あくまでも主観的な要素が多いし、それが何によって生み出されているのかが分からないままなので、日本の子たちに何をどうしたらよいかははっきり言えないのですが、ただ漠然と日本でのバレーボール指導は、これからもう一段も二段もステップアップさせていかないと、ますます世界の中で遅れをとるのではないかという、直感的な危機感におそわれたのでした。
その国のトップレベルのU15チームと交流、対戦しました。ボールコントロールなどは、日本で言われるところの「美しさ」があるというより、外見上の粗さがあるようにも見えるのですが、ゲームにおいてまずボールが落ちません。ブロックは1枚になることはあまりなく、サーブも明らかに訓練されていました。特にセッターの通り道とクイック封じのコントロールサーブ、そしてサイドラインターゲットなどは訓練されていました。セッターとリベロも上手かったです。
個々のボールさばきには個性が多少あっても、チームとしてはかなり組織化されていて、ポジショニングの正確さも見事でした。
コーチたちは、妥協しないところは妥協せず指導し、練習やゲームが終わったあとは、徹底的にミーティングしています。「ベーシック」という言葉をしきりに私たちにも言っていましたが、基本という概念も日本とは違うような気がします。「ボールを落とさない」、「自分の周辺ボールは落とさない」、「アタックは積極果敢に」、「ポジショニングを考えろ」・・・何か要求ゾーンには幅がありながらも当たり前なことを徹底させているような気がします。
選手は日本の中学生と比べると、かなり大人びていて自立している印象を受けます。彼らの立ち振る舞いや練習態度から感じたことです。そして選手はみんな、自分がバレーボールが好きだからという気持ちがにじみ出ているのも印象的でした。
日本のバレーボールの指導が、これからますますアップデートをしていかないと、いけないような気がします。
バレーボールの歴史は、時代とルールの変遷によって、大きく変化していました。トレーニング方法も変わってきています。ところが日本のバレーボールの指導内容やアプローチ、指導観は、世界の変化に比べて、アップデートが鈍いです。
よくナショナルチームレベルで、戦術論やプレー論が比較考察され、議論が展開されていますが、私は育成世代で世界で何が行われているのか?どんなタクティスやツールを用いてコーチングされているのか?それがトップカテゴリにどのような影響を与えているのか?それこそが学びたい内容であるし、日本のバレー界の閉塞感を動かす力の一つになると確信しています。
実は、私、大学を卒業して随分たったこの歳になってから、英語を学びたいと思い始め、ちょっとだけ勉強を続けています。これがなかなか上手くならず困っています。
そんな中、外国語学習について、専門家の友人から興味深い話を聞きました。言語の学習にもトレンドが時代とともにあり、変遷してきたというものです。当たり前のことですが、その時代のトレンドもいつか短所が明らかになると批判され、新たなトレンドが構築されていく。そのプロセスが、実は言語学習のみならず、バレーボールの指導にも当てはまる、私が考えていた日本のバレーボール指導のあり方にも符合するものです。
外国語教授法
このサイトに書かれている内容で、
以下、外国語教授法にある文章の一部をバレーボールに置き換えながら
引用しておくと
> それぞれの外国語(バレーボール)教授理論あるいは教授法は、それぞれの特徴を持っているが、やはり数ある外国語(バレーボール)学習法と同じように、善悪や優劣を決められるようなものではないだろう。> 先に書いたことと重複してしまうが、英語(バレーボール)の学習法に関して言えば、それぞれの個人に合った学習法は、その人の英語(バレーボール)を学ぶ目的や既習レベル、性格や信念、好み等々によって変わってくる。> 同じ目的を持って英語(バレーボール)を学習する人たちの中でも、適性や好みによって、各個人にフィットする学習法は大きく違ってくる。> さらには、英語(バレーボール)学習を始める年齢や既習レベルの違いによっても、適した学習法は変わってくるものなのである。> それぞれの教授法がそれぞれの特徴を持っているので、学習者にとって、‘自分に合っている’と感じられる教授法は個人個人で違ってくるはずである。> 外国語(バレーボール)を指導している現場の教師たちの間でも、いろいろな教授法の要素を取り合わせた‘折衷法’が一番いい、という意見がもっとも多いようだ。> もちろん、その‘折衷’的なやり方においても、学習者の適性などによって、柔軟に指導の仕方も変化させる必要があると思うが…。> あるやり方がある学習者たちに効果的だったからといって、そのやり方がいつでもどんな学習者に対しても効果的であるとは限らないからだ。> 教師(コーチ)の指導法の理想を言えば、教師(コーチ)はいくつもの教授法に熟達し、学習者の条件に応じて臨機応変に適当な教授法を使うようにするのが望ましい、ということになる。> 常にどんな学習者に対しても効果的であり、最も正しい教授法、というのも存在しないと思う。
個人的に考察しているのは、日本のバレーボール指導は、言語学習の変遷で言えば、1960年代~1970年代の教授法が根強く残っていると思います。オーディオ・リンガル・メソッドなどといった教授法が、日本のバレー指導スタイルに近いんじゃないかと思うわけです。
その特徴は、
・型のインプットと反復トレーニング
・型の再現力
・ティーチング要素が強い
・正確さが要求される
・失敗は避けるべきもの
・指導者(コーチ)中心、主導
・項目を順を追って組織的に教える
昨年2017年、バレーボール界の一部では、指導における「プレーヤーズ・ファースト」の概念や「試行錯誤」の重要性が話題になったような気がします。
私は、いずれも「プレーヤーズ・ファーストだ」、「試行錯誤しろ」と指導者が言うものではなく、「そうなるべきもの」だと考えます。
私たちバレーボール指導者は、いかに効率よく勝てるか?いかに効率よく確実にスキルアップできるか?何かいい特効薬はないのか?ばかりを追い求めてきたと思いませんか?要するに、「楽をしてきた」のだと思います。思考停止をしているのは、選手以上に指導者がそうなっているのだと思います。指導者は選手に「考えろ!」という前に、まずは自分自身が「深く考える」ことが必要だと思います。だから短いスパンの一時期で成果が出ない選手(子どもたち)は、バーンアウトしたりリタイヤしたり、発掘のまな板から落とされてしまってきたのです。
言語学習では、指導者からの一方向的な指導だけでは限界があることから、コミュニカティブ・アプローチに軸足が移行していきました。
その特徴は、
・状況への柔軟な対応
・実践力→(言語:コミュニケーション、バレーボール:ゲームセンス)
・学習者からのアウトプット
・個に応じたコーチング
・失敗は習得に不可欠なもの、貴重な教材
・学習者(選手)中心
・「インフォメーションギャップ」「自由な選択があるか」「フィードバック」の3要素を把握、設定する
というポイントがあろうかと思います。これ、言語学習だけじゃなく、バレーボール指導にもまったく符合することだと思います。
強調したいのは、どの指導アプローチが正解かではないということ。
パターン練習とランダム練習
クーロズドスキル練習とオープンスキル練習
スコアリングスキル練習とノンスコアリングスキル練習
分習法と全習法
適宜、どこでどの場面で取り入れるかがコーチの手腕。
そこを日本のバレー指導者が考え方を変えないと、ますます世界に取り残されると断言できます。
小中学生のバレーボールコーチは、もちろんシニアやナショナルチームのバレーボールにも知見を持たねばならないし、コーチングできなければいけないと思っています。逆にトップレベルのコーチやトップカテゴリのコーチは、育成世代の子どもたちや初心者にもより良い指導を提供できなければならないと考えています。
でも、日本では世界の中でもさかんにバレーボールが行われているにもかかわらず、指導者は自分のカテゴリに安住してあぐらをかいているのではないでしょうか?もっと指導の在り方やメソッドの内容を掘り下げて学び、さまざまな場面でさまざまな対象者に常に良いコーチングを提供できなければいけないと思うのです。
2018年は、今まで以上に、日本のバレーボールの「指導者」や「コーチング」に焦点があたることを期待しています。
本年もよろしくお願いいたします。
ああ、英語が話せるようになりたいです(笑)
(2018年)
2017年11月30日木曜日
v premier league 2017/18
2017/18シーズンのVプレミア男子は、
例年以上に、世界のビッグネームな選手が、
日本でプレーしていると思います!
ぜひ、みんな試合会場に足を運んで直に観てください!
ジェイテクト:マテイ・カジスキー(ブルガリア)
豊田合成:イゴール・オルムチェン(クロアチア)
パナソニック:ミハウ・クビアク(ポーランド)
東レ:ギャビン・シュミット(カナダ)
JT:トーマス・エドガー(オーストラリア)
(2017年)
例年以上に、世界のビッグネームな選手が、
日本でプレーしていると思います!
ぜひ、みんな試合会場に足を運んで直に観てください!
ジェイテクト:マテイ・カジスキー(ブルガリア)
豊田合成:イゴール・オルムチェン(クロアチア)
パナソニック:ミハウ・クビアク(ポーランド)
東レ:ギャビン・シュミット(カナダ)
JT:トーマス・エドガー(オーストラリア)
(2017年)
2017年6月4日日曜日
世界のバレーを観なきゃ損(FIVB World League 2017)
ワールドリーグ2017が開幕しました。今回は、FIVBからYoutubeにてライブ配信されており、いつでも海外勢同士の試合を観ることができるようになっています。
昔は、と言っても今から20年30年前と比べての話ですが、日本国内ではめっきりバレーボールの国際大会のテレビ中継が減っていき、無くなっていき・・・。世界の日本のバレーボールのいろいろが大きく溝を開けられ、遅れをとっている中、本来はもっと世界のバレーボールをみんなで観て、参考にしていきたいのにそれができない時代が続いてきました。
でも今は、こうして日本チーム以外の試合を簡単に観ることができます。
残念なことに、例えば中学生や高校生、大学生などで日夜必死にバレーボールの練習に打ち込んでいる選手や指導者の中の多くの人が、海外のチーム、選手や指導者のことを知らないことが多いです。きっと練習や指導が忙しくて、試合を観るゆとりがないのかもしれませんが、今回のワールドリーグのように、ネットでライブ発信しているとなれば、誰でも今まで以上に試合を観ることが容易になるはずです。
ぜひ多くの人に試合を観てほしいですし、特にバレーボールに携わる方々は観るべきだと思います。
常々感じていることですが、日本国内でバレーボールに携わっている方たちが、世界のバレーボールを話題にしたとき、それが自分がかかわっているバレーとは次元が違うとかであまり関心を示さない人も少なくありません。
別に自分のチームの練習や指導に生かすために観てほしいとまでは言いません。そうじゃなく、単純にもっとみんなで世界のバレーボールの試合やプレーを観て楽しんで欲しいということを言いたいのです。
別に自分のチームの練習や指導に生かすために観てほしいとまでは言いません。そうじゃなく、単純にもっとみんなで世界のバレーボールの試合やプレーを観て楽しんで欲しいということを言いたいのです。
日本のバレーボールの復活とか、発展とか、強化とか・・・そんな難しい課題がいろいろあるわけですが、まず第一歩は、日本のバレーボーラーが、もっと「世界のバレーボールを観て楽しむ」という風土が生まれてくることが、小さなことでも大きな一歩なんじゃないかなと思います。
カッコいい選手や、美しい選手もたくさんいます。巧みでテクニシャンな選手がたくさんいます。知将がいて、情熱的なコーチがいます。日本では感じられない試合会場の雰囲気も観れます。もちろん、プレーや戦術の参考にもなります。
今回のワールドリーグ。選手もさることながら、ヘッドコーチの顔ぶれだけでも私は十分楽しいです。
ブラジル :レナン・ダルゾット
イタリア :ジャンロレンツォ・ブレンジーニ
ポーランド:デ・ジョルジ・フェルディナンド
アメリカ :ジョン・スパロウ
カナダ :ステファン・アンティガ
アルゼンチン:ジュリオ・ベラスコ
フランス :ロラン・ティリ
セルビア :ニコラ・グルビッチ
オーストラリア : マーク・レベノフ
ドイツ : アンドレア・ジャーニ
中国 :ラウル・ロザノ
今回のワールドリーグ。選手もさることながら、ヘッドコーチの顔ぶれだけでも私は十分楽しいです。
ブラジル :レナン・ダルゾット
イタリア :ジャンロレンツォ・ブレンジーニ
ポーランド:デ・ジョルジ・フェルディナンド
アメリカ :ジョン・スパロウ
カナダ :ステファン・アンティガ
アルゼンチン:ジュリオ・ベラスコ
フランス :ロラン・ティリ
セルビア :ニコラ・グルビッチ
オーストラリア : マーク・レベノフ
ドイツ : アンドレア・ジャーニ
中国 :ラウル・ロザノ
いろんな楽しみ方でいいです。とにかく、今、私が必要だと思っているのは、みんなで世界のバレーボールを観たらいいのに・・・ということです。テレビ中継に依存する時代ではなくなってきたのだと思います。テレビ中継が減ったからマイナーだと引け目に思う必要もないのだと思います。ネットで簡単の試合を観ることができるのですから、これからの時代は、視聴者側がいかに積極的にアクセスするか。特にバレーボールに関わる人々の積極的なアクセスが、これからのバレーボールを突き動かす原動力になると思っています。練習が終わった後でも家で観ることができます!朝起きて目覚まし代わりにちょっと観ることもできます!移動途中に乗り物の中で観ることもできます!日本のバレーボール改革の入り口は、みんなで世界のバレーボールを観て楽しむことから。
(2017)
2017年1月6日金曜日
「育成の実現」とは?
近年、どの競技でも「育成」の大切さが言われるようになってきました。重要な国際大会で頂点に立った国や競技の成功の要因のひとつに、「育成」現場の改革が挙げられる例も珍しくはありません。
一言に、育成とか選手を育てると言っても、その中身には幅があって、例えば所属するチーム内でのスパンなのか、カテゴリを超えたスパンなのか。特定の選手を対象とするのか、幅広くプログラムを提供するのか。「育成」という言葉を使っている場合、どのようなものとして捉えているのかは、注意しなければならない点だと思います。
さて、日本のバレーボール界において言われているところの「育成」とは、どんな意味合いで用いられているのだろうかと思う時があります。そこに、どの程度関係者の本気度があるのだろうか?ということも併せて考えちゃいます。
みなさんご存じの通り、日本のバレーボールの現状は、いろいろと大変な状況になっています。というのも今に始まったことではなく、もうすでに20年、30年前から始まっているわけですが、近年は本当に大変です。
そんな中、言われる「育成」ですが、
① 細く長く型、細長いピラミッド型の育成
② 太く長く型、山脈型の育成
とがあると思っています。
①は、有能な選手を絞り込み、絞り込まれた特定の選手に対し、指導環境を提供すること。
②は、とにかく幅広い人を対象にプログラムを提供し、それぞれの自身の判断で自らの道を選択できること。
本来は、②であるべきだと思っています。ところが、日本のバレーボール界で言われている「育成」は①となっていると思います。
個人的には、①は狭い意味での育成だと思います。小学バレーで活躍した選手が中学に集まり、中学で活躍した選手が高校に集まり・・・そうやってリクルートされながら、上のカテゴリまで残ったエリート型の選手を輩出することを育成と言われていることが多いです。
しかし、これは同時に、その時点でリクルートの対象にされなかった大勢の選手たちがいるわけで、ではその選手たちが能動的積極的に自分の望む環境を選べたかといえば、選ぶこともできず、その後に遅咲きの成長をしても、もはやレールから外れてしまっては見出してもらえるチャンスは狭められてしまうわけです。
①は、どちらかというと、「育成」というより、「選抜」なのだと思います。
小中学生の育成世代とも言える子どもたちのスキルアップの方向性にいろいろ試行錯誤されている方はたくさんいるかと思います。小学生のうちから休日返上でびっちり練習するところもあれば、週2~3回程度にのんびりやるところもあろうかと思います。それぞれのチームの方向性や目標も違っているので、様々な活動のカタチがあるのだろうと思います。

例えば、習得させたいスキル一つ一つをコップに見立てます。
そしてコップの大きさや容量、形を選手一人一人の個性、能力の個人差だと考えます。
そのコップに水を注ぐ作業が、練習だったり、学習、経験だと考えます。
コップが水で満たされたら、目標とするスキルの習得がなされるとイメージします。
与えられる水の量は一定です。つまり私たちに与えられた時間であり身体です。
そう考えると、子どもたちへのコーチングの見方に新しい感覚は出てこないでしょうか?
1つのコップに集中して水を注ぐということは、1つのスキルに絞って練習をさせていくということです。レシーブだけ、とか、スパイクだけ。または特定のポジションの動き・・・そういった考え方になろうかと思います。
一方で、いくつか用意されているコップに均等に水を注ごうとします。コップの水は均等に水が入りますが、当然、コップが水で満たされるまでには時間がかかります。
ここで気をつけたいのは、コップは、一人一人の個性と考えますから、コップの大きさも形も人によって違います。しかも、それらの形状は自分はおろか、誰かが見ようとしても見えない、姿の見えないコップなわけです。どのくらいの量を注げば水が満たされるのかは、わかりません。また注げる水自体も眼に見えるものではありません。
こう考えていくと、子どもたちに、バレーボールの練習をさせていく時、どのようなアプローチがいいものだろうかと考えさせられます。
個人のスキルアップを、水の分配でイメージしてみたわけですが、もう一つ考えなければならないのは、チーププレーとしての視点です。
ディグのコップは水満杯だけど、ブロックのコップには水ゼロ。
スパイクのコップは水満杯だけど、レセプションのコップはゼロ。
そういった長短はっきりしている子どもたちが明確な分業のもとでゲームを成り立たせる場合があります。
一方で、どのメンバーも平均的に各コップに水が注がれているも、いずれのコップも水は半ばくらいまでしか注がれていません。全員がそこそこのスキルをもって、トータル的にゲームにあたる場合もあります。実際は、それでも各々の特性や長短を考慮するわけですが・・・。
どれが正解か?ということではなく、「育成」をしなければならない時期に、どのように練習や指導を考えたらいいのでしょうか?ということをたまに立ち止まって考えなければいけないのではないかと思うわけです。
水をたくさん注ぎたければ、水道の蛇口を開き続けなければなりません。つまりは練習をし続ける、いかに練習量を稼ぐかということになるのでしょうか?でも365日朝から晩まで子どもたちに練習を強いるのは賛同できません。
「育成の実現」って「早期の完成」と同義ではないと思います。
どんなカテゴリにおいても、いい選手に出会う確率を上げること。
早熟の選手だけが、エリート的な狭いレールに乗るだけじゃなく、後から能力を開花した選手も、活躍できるようにしなければなりません。選手の発掘は、宝探しとは違うと思います。「探す」なんていう他力本願な発想ではなく、「育てる」ことで、いい選手に出会う確率を上げたらいいのだと思います。
そのためには、バレーボールに出会ったすべての人が、その後のモチベーションを維持し、「やりたい!続けたい!」と思わせることが大事です。
チームフォーメーションでも、いきなり選手を固定したりポジションを専門家するのではなく、6-6システムを導入に、柔軟に複数のポジションに対応できるよう、段階的に編成していくべきです。
小学生に複雑なコンビネーションを伴う攻撃を教え込む必要があるでしょうか?それを優先することによって、早熟じゃない選手は「できない」レッテルを貼られてしまいます。その結果様々なスキルのプレー経験を奪われます。できる一部の子をセッターとしスパイカーに固定していく現象が進んでいきます。
何も、ブラジル男子がやっているような、シンクロ攻撃を小中高校生でやることが必要不可欠なわけではないと思います。その前に各カテゴリでは、「できる選手」だけを優遇するのではなく、全員がトレーニングを受け、全員が習得を目指すようなプログラムや内容があるべきです。少なくとも中学生カテゴリまでは、「オールラウンドな育成」は絶対必要だと思います。極端に言えば、誰もが高校カテゴリ以上でセッターやリベロを務められるようにしておくことが理想だと思っています。
世界的なトップレベルのバレーの推移をみても、戦術の発展に伴い、現在は個人のプレーのオールラウンド化が求められ、勝敗に影響を与えているような気がします。セッターは、ブロック力も求められるようになっているし、リベロはセカンドセッターとしてのセット能力が求められてきています。ミドルはブロック要因だけじゃなく、バックアタックやリベロを不要とするディグやセット能力が当たり前のように求められています。日本の育成現場もかなり遅れをとっているようです。
一言に、育成とか選手を育てると言っても、その中身には幅があって、例えば所属するチーム内でのスパンなのか、カテゴリを超えたスパンなのか。特定の選手を対象とするのか、幅広くプログラムを提供するのか。「育成」という言葉を使っている場合、どのようなものとして捉えているのかは、注意しなければならない点だと思います。
さて、日本のバレーボール界において言われているところの「育成」とは、どんな意味合いで用いられているのだろうかと思う時があります。そこに、どの程度関係者の本気度があるのだろうか?ということも併せて考えちゃいます。
みなさんご存じの通り、日本のバレーボールの現状は、いろいろと大変な状況になっています。というのも今に始まったことではなく、もうすでに20年、30年前から始まっているわけですが、近年は本当に大変です。
そんな中、言われる「育成」ですが、
① 細く長く型、細長いピラミッド型の育成
② 太く長く型、山脈型の育成
とがあると思っています。
①は、有能な選手を絞り込み、絞り込まれた特定の選手に対し、指導環境を提供すること。
②は、とにかく幅広い人を対象にプログラムを提供し、それぞれの自身の判断で自らの道を選択できること。
本来は、②であるべきだと思っています。ところが、日本のバレーボール界で言われている「育成」は①となっていると思います。
個人的には、①は狭い意味での育成だと思います。小学バレーで活躍した選手が中学に集まり、中学で活躍した選手が高校に集まり・・・そうやってリクルートされながら、上のカテゴリまで残ったエリート型の選手を輩出することを育成と言われていることが多いです。
しかし、これは同時に、その時点でリクルートの対象にされなかった大勢の選手たちがいるわけで、ではその選手たちが能動的積極的に自分の望む環境を選べたかといえば、選ぶこともできず、その後に遅咲きの成長をしても、もはやレールから外れてしまっては見出してもらえるチャンスは狭められてしまうわけです。
①は、どちらかというと、「育成」というより、「選抜」なのだと思います。
小中学生の育成世代とも言える子どもたちのスキルアップの方向性にいろいろ試行錯誤されている方はたくさんいるかと思います。小学生のうちから休日返上でびっちり練習するところもあれば、週2~3回程度にのんびりやるところもあろうかと思います。それぞれのチームの方向性や目標も違っているので、様々な活動のカタチがあるのだろうと思います。

例えば、習得させたいスキル一つ一つをコップに見立てます。
そしてコップの大きさや容量、形を選手一人一人の個性、能力の個人差だと考えます。
そのコップに水を注ぐ作業が、練習だったり、学習、経験だと考えます。
コップが水で満たされたら、目標とするスキルの習得がなされるとイメージします。
与えられる水の量は一定です。つまり私たちに与えられた時間であり身体です。
そう考えると、子どもたちへのコーチングの見方に新しい感覚は出てこないでしょうか?
1つのコップに集中して水を注ぐということは、1つのスキルに絞って練習をさせていくということです。レシーブだけ、とか、スパイクだけ。または特定のポジションの動き・・・そういった考え方になろうかと思います。
一方で、いくつか用意されているコップに均等に水を注ごうとします。コップの水は均等に水が入りますが、当然、コップが水で満たされるまでには時間がかかります。
ここで気をつけたいのは、コップは、一人一人の個性と考えますから、コップの大きさも形も人によって違います。しかも、それらの形状は自分はおろか、誰かが見ようとしても見えない、姿の見えないコップなわけです。どのくらいの量を注げば水が満たされるのかは、わかりません。また注げる水自体も眼に見えるものではありません。
こう考えていくと、子どもたちに、バレーボールの練習をさせていく時、どのようなアプローチがいいものだろうかと考えさせられます。
個人のスキルアップを、水の分配でイメージしてみたわけですが、もう一つ考えなければならないのは、チーププレーとしての視点です。
ディグのコップは水満杯だけど、ブロックのコップには水ゼロ。
スパイクのコップは水満杯だけど、レセプションのコップはゼロ。
そういった長短はっきりしている子どもたちが明確な分業のもとでゲームを成り立たせる場合があります。
一方で、どのメンバーも平均的に各コップに水が注がれているも、いずれのコップも水は半ばくらいまでしか注がれていません。全員がそこそこのスキルをもって、トータル的にゲームにあたる場合もあります。実際は、それでも各々の特性や長短を考慮するわけですが・・・。
どれが正解か?ということではなく、「育成」をしなければならない時期に、どのように練習や指導を考えたらいいのでしょうか?ということをたまに立ち止まって考えなければいけないのではないかと思うわけです。
水をたくさん注ぎたければ、水道の蛇口を開き続けなければなりません。つまりは練習をし続ける、いかに練習量を稼ぐかということになるのでしょうか?でも365日朝から晩まで子どもたちに練習を強いるのは賛同できません。
「育成の実現」って「早期の完成」と同義ではないと思います。
早熟の選手だけが、エリート的な狭いレールに乗るだけじゃなく、後から能力を開花した選手も、活躍できるようにしなければなりません。選手の発掘は、宝探しとは違うと思います。「探す」なんていう他力本願な発想ではなく、「育てる」ことで、いい選手に出会う確率を上げたらいいのだと思います。
そのためには、バレーボールに出会ったすべての人が、その後のモチベーションを維持し、「やりたい!続けたい!」と思わせることが大事です。
指導者は、1年や2年での短期スパンでの完成を求めていれば、上手くいかないことも多くなります。早熟出来ない選手は切り捨てられていきます。ですから、育成においては、個人の地道なスキルアップを評価できるようにしなければなりません。
練習では、指導者の頭ごなしな指導や強制的な訓練ではなく、「そうなるように」、「一緒に」、「試していく」ようなドリルを見守ることが重要です。オールラウンドな練習も当たり前にしておきたいです。スパイクやブロックはできても、ディフェンスやセット(トス)ができない。逆に身長が低いからと言ってスパイクやブロックをやらせてもらえず、ディフェンスばかり教え込まれる・・・。偏ったスキルのまま上のカテゴリに進んでいけば、上のカテゴリでの強化のタイムロスになっていきます。チームフォーメーションでも、いきなり選手を固定したりポジションを専門家するのではなく、6-6システムを導入に、柔軟に複数のポジションに対応できるよう、段階的に編成していくべきです。
小学生に複雑なコンビネーションを伴う攻撃を教え込む必要があるでしょうか?それを優先することによって、早熟じゃない選手は「できない」レッテルを貼られてしまいます。その結果様々なスキルのプレー経験を奪われます。できる一部の子をセッターとしスパイカーに固定していく現象が進んでいきます。
何も、ブラジル男子がやっているような、シンクロ攻撃を小中高校生でやることが必要不可欠なわけではないと思います。その前に各カテゴリでは、「できる選手」だけを優遇するのではなく、全員がトレーニングを受け、全員が習得を目指すようなプログラムや内容があるべきです。少なくとも中学生カテゴリまでは、「オールラウンドな育成」は絶対必要だと思います。極端に言えば、誰もが高校カテゴリ以上でセッターやリベロを務められるようにしておくことが理想だと思っています。
世界的なトップレベルのバレーの推移をみても、戦術の発展に伴い、現在は個人のプレーのオールラウンド化が求められ、勝敗に影響を与えているような気がします。セッターは、ブロック力も求められるようになっているし、リベロはセカンドセッターとしてのセット能力が求められてきています。ミドルはブロック要因だけじゃなく、バックアタックやリベロを不要とするディグやセット能力が当たり前のように求められています。日本の育成現場もかなり遅れをとっているようです。
クリニックなどの機会で、例えば大学の指導者が中学生を指導したり、中学の指導者が小学生を指導したり、異カテゴリ間の練習場面の機会をみていると面白いです。実に「のんびり」「丁寧に」指導されていることが多いです。ところが、自分のチームになると、苛立ちを覚えたり選手に高圧的になったりすることも珍しくありません。指導者と選手間の距離感や、ニーズの切迫感が違うからだと思います。面白いもんです。だったら、自分の選手にも、丁寧にじっくり接することは可能だと思います。「勝ちたい」「実績を出す」「指導力の有無」・・・結局は指導者のエゴの論理で動いていることが多いのだと思います。
世界に通用するバレーボール選手の育成の実現にはまだまだ険しい道のりがありそうです。
(2017)
世界に通用するバレーボール選手の育成の実現にはまだまだ険しい道のりがありそうです。
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