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2021年1月14日木曜日

春の高校バレー2021男子~育成カテゴリと戦い方

ジャパネット杯 春の高校バレー2021
 第73回全日本バレーボール高等学校選手権大会

新型コロナウイルス感染症の影響で、練習時間の不足どころか、インターハイや国体など例年行われる全国大会が軒並み中止となり、この大会の開催自体も危惧されていた中で、残念ながら男子の前回優勝校の棄権がありましたが、決勝まで行いました。

近年は、野球の甲子園に限らず、サッカー、バスケットボール、ラグビーなど、高校生チームスポーツの全国大会がものすごく注目され盛り上がりを見せるようになりました。バレーボールも過去は3月に行われていた春高バレーも1月の大会として定着してきました。そして今年はコロナの影響で練習、遠征、そして大会とさまざまな制約・制限を受けてきた特に高校3年生にとっての集大成の大会となっています。ですから、社会的にはいろんな意見はあるでしょうが、こうして春高バレーが開催できたのはよかったですね。

さて毎年のことながら、春高バレーの試合を観ていると(といっても全ては観れていないが)、日本のバレーボールの特にアンダーカテゴリー(小・中・高校バレー)の現状や成果や課題を読み取れるのではと思いながら、注目しています。特に今年は、多くの示唆があったのではないかと考えています。

良し悪しや是非はさておき、
日本では世界の中でも小学生から競技スポーツとしてのバレーボールがさかん(熾烈な競争)で、アンダーカテゴリの技術やチーム力は高いと言われています。そういった中での集大成、ゴールとなっているのが高校生スポーツであり、花形となっている春高バレーに集約されているのかもしれません。

男子は、東福岡が優勝しました。1枚の得点力あるエースにボールを集め、そのために様々なフォローやお膳立てを緻密に行う練習をしてきたのかなと思いました。エースも聞けば、様々な課題を努力して克服しながらのエースとしての機能を果たしてきたようです。

決勝戦で対した駿台学園は、セッターのセット(トス)が縦横無尽で、アタッカー陣も多彩な攻撃を繰り出す。ブロックも組織的に行おうとする様子がみられ、チームビルディングを思考錯誤して行ってきたのかなと感じてみていました。また試合を通してポジションを変更するなど、アンダーカテゴリでありがちな、分業固定のワンパターン編成ではないところへの対応も良いなと思いました。
 準決勝で東福岡と対戦した清風も善戦、チャレンジングなチーム作りだったと思いました。また、東福岡の柳北くん(192cm)、高松工芸の牧くん(210cm)など、これまでにない大型、長身選手が、MBでブロックやクイックだけの限定的なプレーでとどまらず、バックアタックやディフェンスにも参加しているあたりも、過去には見られなかった近年の良い傾向であり、バレーボール指導者の選手の育成に対する意識も、従来のものから脱却し、将来性を伸ばす大きく育てる指導ビジョンが芽生えてきているように感じます。


高校バレーにおける戦い方のトレンドとは?

 東福岡のバレー、駿台学園のバレー、清風のバレー・・・いろんな戦い方やスタイルに違いあります。チーム戦で競い合う以上、打ちだす策やシステムに違いがあるのは当然なことでもあります。
 中学や高校バレーではしばしば、どの策がどの戦術がふさわしいのかなどと禅問答的な議論みたいのがあって、例えばエースバレーなどのように1枚か特定の選手のスパイクに依存したスタイルが、他の選手の育成を置き去りにしているかもしれない、戦術的な思考の成長を止めているかもしれないという疑問や、特定の選手にかかる負担やオーバーワークによる将来性が狭まる懸念。
 逆に、トップカテゴリへつなげる将来性を見据え、積極的にブロックシステムやオフェンスシステムを構築構築して、思考力を高めることの大切さがある。一方でそれが勝敗のアドバンテージになるかといえば、そういう確実性を担保するものではなく、シンプル(シンプルに戦うために緻密に作られたチーム)に敗れることもよくあるわけです。
 チェーンブロック、スタックブロック、サーカスバレー、立体バレー・・・様々なネーミングのもとで、毎年勝っているチームのスタイルにはかなり違いが見られます。ですから逆に言えば、その目まぐるしく変わるスタイルというのは、トレンドとまでは至らない状況であるものであって、この高校生カテゴリでは、まだまだ育成段階の一通過点だからこそ、スタイルが何かに収束・精錬されていくことがないのではないだろうかと考えるわけです。育成途上だからこそ、それぞれの地域やチームに、チームの勝敗を左右する「変数」的な要素(人・数・能力・環境・戦術・・・)が多くあり過ぎて、何を目指せばよいか・・・という絶対的正解が見いだせない、エースバレーで勝つかも知れないし、個人に依存したシステムで勝つかもしれないし、組織や戦術の構築で勝つかも知れない、複雑な攻撃パターンで勝つかも知れないし、ディフェンシブな戦いで勝つかもしれない。
 ですから、特に小中高校バレーの指導者は、春高バレーから参考になることはたくさんあるけれども、その年の勝ったチームの、見た目のスタイルやカタチだけに注目せず、いろんな人と議論をしながら、それらの基盤にある重要性をみんなで探していくことが重要です。

選手たちのゴールについて

 春高バレーが、小中高校と頑張ってきたプロセスの大きな目標や夢の舞台、大学やVリーグや代表に向けたスタートや登竜門・・・いろんな位置づけがあってもいいのだと考えます。
 ですが、個人的に考えているのは、春高バレーがある種の最終ゴール化することで、チームの中で主力・控えの区分けが発生し、そこに経験値の差が広がり育成や成長に差が発生したり、その後バレーの道を続ける者と続けない者との差、特に高校以後バレーの道が閉ざされてしまう選手の方が多いという現状があるのではないかということです。
 指導者や保護者、メディア・・・高校生スポーツを見守る大人の問題かも知れません。バレーボールを始めて練習やプレーを頑張っている大変多くの子供たち選手層のピラミッドの頂点ばかりに目がいきがちです。とはいっても、先ほど述べたように長身選手をしっかりオールラウンドなスキル育成をさせようという機運も生まれてきていますが、それも一握りのタレントが対象になっているに過ぎないです。
 ゴールにもいろんなゴールがあっていい、でもふるい落とすようなゴールではなく、自分が目指したい方向で目指したい人は広く多く目指せるようにしてあげる環境やシステムを作らねばいけないのではないでしょうか?少なくとも、日本以外の国ではそういった取り組みがなされ、何年かかけて代表チームの成果につなげていると思います。

アンダーカテゴリやらねばならないこと

 現状、小中学バレーの指導現場の実態は、すべてではないものの、いかに指導した選手がチーム出身の選手が、春高バレーで活躍する強豪校に選手を送ったか・・・というのが、一つの実績かのように考えられており、高校としても少しでも選手の獲得のためには求めている関係性となっていると思います。
 先に述べたように、春高バレーという素晴らしい舞台のレベルであっても、まだまだ育成の発展途上であり、戦術等には普遍的な集約や定着がなされにくい。だとすれば、まずもって求められるビジョンは、「個の育成」、バレーボールのトレーニング(練習)を積む子供たちには、広く全員にオールラウンドかつ、ボールコントロールスキルだけではない、認知や判断能力、セルフマネジメントとしてのスキルアップがなされることではないでしょうか?
 何年に一度巡り合うか合わないかの大型選手や高い身体能力をもった選手を見つけた時だけオールラウンドな育成に着手するのではなく、アンダーカテゴリの重要なコンセプトの一つに、しっかりと「オールラウンドな個の育成をすべての子供たちに」を位置づけるべきだと思います。
 そうすれば、190㎝、200㎝越えの高校生がレセプションやバックアタックをしても何の驚きにもならない時代になると思うし、実際海外ではそうなっています。もはや小柄な選手は動きが機敏で巧い、大型選手は高さはあるが守れない・・・そういう時代はとっくに終わっているのです。

(217㎝のムセルスキーが難しい体勢からのナイスセット)


(リベロは子供の時から守備専門をするわけではなく・・・)


(リベロはセッターの役割も・・・ゆえにオーバーハンドのスキルも)


(バレー選手である以上スパイクはみんなできるようになってこそ・・・)


今年の春高バレーの男子高校生たちは素晴らしいバレーを随所に見せてくれましたし、新しい現代バレーに戦術や選手育成の面でチャレンジをしている指導者の方に敬意を表したいです。さらなるチャレンジと本気の育成が日本全国に広がることを願っています。


(2021年)

2020年12月20日日曜日

第2回TETSUミーティング202012019 ~日本のバレーボールと技術

【TETSUミーティング】

と題し、
日本バレーボールの未来への探求と挑戦をみんなで語り合うオンライン・ミーティングを開催してみました。
 今回はその第2回目の話題です。


第2回目のテーマは、
「日本バレーボールの技術指導のこれからを考える」 という設定で、約30名弱の学生プレーヤーから各カテゴリの指導者、
さらには戦術系ライターやアナリスト、
レフリー(審判)、学者や教員にいたるまで 多岐の領域関わる方々に参加していただきました。

今回のミーティングのイントロダクションとして
私から、日本のバレーボールにおける従来から行われている技術指導について
プレゼンテーションいたしました。

当ブログの過去の記事の内容をもとにした
プレゼンテーションをイントロダクションとし
ディスカッションを始めていきました。
↓ ↓ ↓


それをしなくてもできること


前回、第1回目のミーティングでは、
日本のバレーボールの従来言われてきたところの
技術指導やチーム作りを見直し
近年再検討されてきた知見やグローバルスタンダードに近づく要素
による実践報告をもとにディスカッションしました。

それを受けての第2回目は、従来の日本の技術指導をどう見直すか、
こらからどうあるべき方向に向かわせるかというテーマ設定です。

・オーバーハンドパスは手首を柔らかく使って
・ハンドリングは、キャッチ&リリースの速度を速めて
・スパイクの打点は肘を下げてはならない肘を先に挙げて
・スパイクのジャンプ力を上げるため深く沈みこんで
・セッターは右軸で
・高く飛ぶためにスパイクは真上に跳べ
・とにかく「正面」でボールをとれ(ディグやレセプション)

こんなことを私も指導者駆け出しのころ
さも当たり前のようにようにレクチャー受けましたし
プレーされた方も多くの人は言われたのではないでしょうか?


それで・・・
ディスカッションを始めたのですが、
予定されていた2時間の設定の時間のほとんどは、

「オーバーハンドパス(セット)」についてで終わってしまいました。

それだけ、日本のバレーボール指導において
オーバーハンドパスやセットについては多くの課題があるだけでなく、
オーバーハンドパスの指導論を象徴として
従来の日本のバレーボール指導自体に多くの課題があることが明らかです。

乱暴になっちゃいますが、結論的なことを申し上げると、


この本をみんなちゃんと読んだか?(しっかり読めよ)
ということです。


オーバーハンドによるパスやセットの原理は、

「キャッチ→リリース」の手首のスナップ速度を速めたものではない

「手の形」を同じようにする必要もない



こういった情報だけでも、
ここ昭和から平成にかけて行われてきた
従来の日本のバレーボール指導がいかにアップデートされていないか
明白なはずです。
しかし、実態は、まだまだ従来の指導法が何の根拠や検証もなく
ただ、自分が教わってきた、自分が練習してできたという
経験とその感覚に頼った指導がなされているわけです。

ですから、日本のバレーボール選手そして子供たちは、
オーバーハンドパスが飛びません。キャッチ癖が抜けません。
柔らかい?美しい?オーバーパスができても
ヘイコウトスやクイックのセットができても
いつまでもオープントスやハイセットができない選手が多いです。

そしてこれは指導方法の問題にとどまりません。
日本のレフリー(審判)の判定の考え方やあり方
さらにはその判定に対する日本の指導者の態度
オーバーハンドパスのハンドリングに対する取扱いにおける矛盾
など
問題が複雑に絡み合っているという点にも議論がおよびます。

ハンドリングの反則(キャッチ)に対し
・判断に幅があるグレーゾーンなものなのか?
・グレーゾーンであれば反則に挑戦するようなことを指導していいのか。
・そもそもキャッチと言う反則をジャッジした審判を子どもの前で否定していいのか
・教育的配慮という名のもと、キャッチの反則を見逃していいのか

こういった風土が、技術指導に深刻な影響が与えます。

「オーバーパスは手首の柔らかなスナップで飛ばす」
「そのためのオーバーのハンドリングには筋力が必要」
「小さい子は筋力がないからオーバーは飛ばせない」
「うちのセッターはまだキャッチ気味だから反則とったら試合にならない」
「試合中反則取られ続けてその子が泣いてしまう」
「審判の判定が厳しすぎると文句を言う」
「気を遣って判定を緩める」

こんなことが、日本国中あちこちで発生しているなんて
異常なことだと思います。
そんなことで、日本代表がオリンピックでメダルと獲る日が来るのでしょうか?
(絶対くるはずがない)


 この動画をみて、日本のバレーボール指導に携わる方々は何を思うでしょうか?
 オーバーハンドのハンドリングを持つ持たないと文句言うだけで、
 研究で得られた知見をおさえることなく、誰かが言う謎理論を信じるだけで、
 いっこうにキャッチ癖が残って9M~10M~とハイセットできない選手を量産している間に、日本以外の海外の選手たちはどんどんスキルを上げているわけです。
 レフリーのみなさん、キョウイクテキハイリョという名のもと、ベンチにいる傲慢な指導者に忖度するのは終わりにしましょう。
 そして指導者は、スポーツであるバレーボールを指導する以上、「ルール」や「スポーツマンシップ」、「フェアプレイ精神」を順守すべきです。レフリーがキャッチと判定すればそれがキャッチという反則です。ダメなものはさせない、反則はさせないという「モラル」が欠如しています。
 バレーボール指導者は、よく、教育だの子どもを育てるだの言います。ところがそんな子供の前でハンドリングの判定に文句言ったり、キャッチの反則にわざわざ挑戦するようなことを教えることのどこがキョウイクなのでしょうか?

 一方でレフリーは、その試合がいわゆる「荒れる」ことへの問題意識や対策など目先のことを考えるだけではなく、例えばハンドリングのキャッチの反則に配慮や忖度をすることで、日本の選手たちがどんどん世界の中で遅れをとっていくということこそに「問題意識」をもってもらえたらと思います。
 だから、海外では小中学生などのアンダーカテゴリーでは6人制の全国大会をもたない、またはさほど重視していないわけです。むしろミニバレーや異種目のクロススポーツをさせる中で、時間をかけてバレーボールのスキルアップがより確実になるようにプログラム化しているのです。

 もう、答えは出ているはずです。

・力学などの知見による動作原理(実際何が起こっているのか)
・動作原理が達成されている場合の状態(外からどう見えるのか)
・プレーヤーの手ごたえ・実感(本人はどういう感覚なのか)

これらは、しっかり精査する必要があり
それぞれを互いに検証し合う作業がとても大事なのだと思います。

もう、~先生が言っているから、~高校がやっているから
それをそのまま鵜呑みにしたりコピーする「学び方」から
脱却しなければいけません。
私はそれは学んでいるとは思いません。指導者の怠慢です。

学びの材料はいまや、無料でインターネットからでも収集できます。
そしてディスカッションも誰でもできます。
みなさんでこれからも一緒に学んでいきましょう。
オーバーハンドパスの話題で盛り上がった第2回TETSUミーティング。
ご参加ありがとうございました。
この他にも、
・スパイクとスパイクジャンプについての見方・考え方
・ディフェンス時における構えの影響とあり方
なども話題になり
2次会も深夜までおよびました。

前回の第1回、今回の第2回のミーティングを通して
やはり私が課題意識をもっていたとおりのテーマが明らかになりました

●日本のバレーボール指導者
●何事も「世界」、「グローバル」への意識をもって
●知識理解のアップデート
●日本バレーボールのアンダーカテゴリ

これが、日本のバレーボールの発展における大きな課題です。

今後、月1回を目標に先着20名の募集で
ミーティングを行っていきます。
第3回目は1月の中旬~下旬に行う予定です。
TwitterやFacebookでも発信していますので、
要チェックお願いします。
たくさんのご参加をお待ちしています。
仲間を増やし、動きをつくり、日本のバレーボールの成長にみなさんで参加していけることが願いです。


(2020年)

2019年12月31日火曜日

「育成」とは何かを問いかけ(2019年をしめくくる)

 2019年が終わります。みなさんにとってどのような1年となったでしょうか?
私もとある方から「どのような1年でしたか?」と問いかけられた時、「バレーボールでは・・・」と正直言葉がつまってしまいました。お恥ずかしい限り、その時は周囲に自慢できる成果などないなと考えてしまいた。
 でも、バレーボール以外での仕事では自分はたくさんのチャレンジや成果があって充実していたし、バレーボールでも決して周囲からは見てもらえない小さな学びや自信となった経験もあったし、人との出会いもありました。
 そんなことを、言ったら「それが大事。小さな幸せを誇れることが一番」と言われました。さて、みなさんの2019年はいかがでしたでしょうか?
2019年のバレーボールでは、個人的には
 ① 日本代表男子チームの活躍と希望ある展望
 ➁ Vリーグの各カテゴリの盛り上がり
 ③ バレーボールファンの多様なつながりや交流
 ④ メディアが発信するバレーボール情報の進化
などが、これまでにない変化がみられたような気がします。

私は、このブログでも平成が終わり令和という新しい時代を迎えるにあたり、日本のバレーボールでももう一度「育成」を見つめなおそうというのが、今年のスタートにあたってのテーマでした。しかし、残念ながら、①~④で取り上げたような材料に比べると、あまり大きな変容を感じられなかったというのが正直な感想です。

 新年2020年はオリンピック・イヤー。しかも私たちの国日本で開催されます。来年の東京五輪での成果も大事ですが、それ以上に五輪後どのように発展させていくかの方が重要だとも言われていますし、海外ではもうそこに着手している国もあるようです。そこでバレーボールを考えるブログとして2019年の締めくくりは、「育成」をもう一度みなさんと考えてみたいわけです。



「育成」を考えるうえで、

「バレーボールでみんながハッピーになる」

というのが大事だと思うわけです。
する・みる・支える・・・大人も子供もどの地域やカテゴリも・・・
みんながバレーボールでハッピーな気持ちになれるかどうか。
それが「育成」の成否の根本として重要なのではないかと思った1年でした。

勝利や成功で得られる喜びや幸せがある。
タイトルやステージアップで得られる喜びや幸せがある。
人との出会いの喜びがある。
新しいことを知った学んだ喜びがある。
いろいろあろうかと思います。
でも、そのような喜びは幸せは、「すべての人」にもたらされなければならないと思います。
 高みを極めた一部の人々だけが幸せになり、それ以外の人々は幸福な気持ちになれないようではいけないと思うわけです。でも勝ち負けはスポーツや競技をやる以上は生じてくるわけですから、「すべての人がハッピーになる」というのは、別のコンセプトや価値観が必要になるんだと思います。
 よく指導現場では、対戦相手を敵と呼んだり、目標設定を相手を倒すなどという表現をするのをみかけます。そんなコンセプトでは「バレーボールですべての人が幸せになる」という状態はいつまでも達成できないんだと思います。
 ファンの間では、戦術、選手個人の為人、国内・海外・・・など、人々の志向の違いが話題になることもあり、時には意見が対立することも見受けられてきました。
 対立というのはゼロにはできませんが、それでも共存やコラボレーション、相互理解などで、すべての人がハッピーになる余地というのは、まだまだたくさんあると思うわけです。



バレーボールにおける「育成」に話を戻します。

「育成」という言葉が使われる場合にもそのニュアンスや定義には様々な違いあると思っています。例えば代表チームや国内リーグなどにおける選手の「育成」は、ある程度セレクトされたスキルや経験のある一定レベル以上の人々を対象としています。私はこれは、「強化的育成」と呼ぶか、育成とは呼ばない方がいいのではないかと考えます。

 私がここで言うところの「育成」とは、子どもたち・・・つまりは学齢期(高校生くらいまで)をターゲットとして、しかも「彼らのすべて」を指す概念として考えています。
 先ほど申し上げた通り、2019年の日本のバレーボールでは「育成」の議論やイノベーションは不十分だったと感じています。率直に言えばあまり変容や進歩は感じられませんでした。

「楽しむ」・「尊重」・「探究」

この辺りが、バレーボールにおける「育成」の取りかかりとなる要素になってくると思います。そこに「すべての子どもたち」を掛け合わせていきますと・・・。やるべきことや取り組む余地は膨大なものになるのではないでしょうか?
 
 日本では、これからの教育の大きなテーマの中に、「主体的・対話的で深い学び」というものが掲げられています。
 このテーマは、実は日本のバレーボールの指導現場にも通じる課題なのではないかと思います。
 「主体的」、「対話」、「深い学び」・・・どの言葉もその解釈や理解は一言では説明しきれないものだとは思います。
 子どもたちの「主体性」はどうやって生まれてくるのか?
 一見、自立し統率されているようなチームでも、その根元は指導者や保護者の意向や思惑によって仕向けられていることが多く、それは「やっている」より、「やらされている」側面が強いわけです。一生懸命やっているようで、実は一生懸命やらされているわけです。これでは主体性があるとは言い難いわけです。
 子どもたちにとっての「対話」とは何か?
 対話には、「他者との対話」と「自己との対話」があります。
 他者との対話では、相手への敬意や相手から吸収しようという姿勢が重要です。いくら礼儀正しくとも、相手の考えを理解できない思考力の浅さや、建設的なディスカッション能力ができなければ、他者との対話は成立しません。
 「対話」で見落としがちになりやすいのが「自己との対話」だと思っています。自分のことを振り返って、思考や感情を整えたり、自分へフィードバックをして学習を促進させたりなど、試行錯誤や工夫という作業を成立させるためには不可欠な要素です。
 「深い学び」とは何をもって達成されるのか?
 それは新しい気づきや発見はもちろん、仮に新しい成果や知見がもてなくても、自分自身で仮説や検証をし、一定の方向性を見出す「プロセスを経験する」ことで学びを深めることになるんだろうと思います。

「育成」において、
「すべての人々(子どもたち)がハッピーになる」
ことを実現させる。
試合で勝った者たちだけが幸福感を得て、そうでない者たちは幸せになれない。
選ばれた者だけが幸せになり、選ばれない者たちはハッピーになれない。
キャリアやステータスを得たものが幸せで、そうでない者は不遇を味わう。
これが根深い日本のバレーボール界の育成における課題なんだと思っています。

「楽しむ」・「尊重」・「探究」

ここに、「主体的」・「対話」・「深い学び」が結びつくと思います。

同じことをやっていても、夢中でどんどんチャレンジし続ける人もいれば、必死に苦しみながらやらされている人もいる。
自分の中に起こるイノベーションを求め、貪欲に吸収しようとスクラップ&ビルドを重ね試行錯誤の中から最適解を探る人もいれば、絶対解を信じ他の可能性を排除しながら突き進む人もいる。
(成長欲求という)自分のためにチャレンジし続ける人もいれば、自分の承認的存在意義を守るため他者を標的にしてマウントをしてくる人もいる。

でも、普遍的なのは、他人の幸福を誰かが奪うことがあってはならないことです。そして人のチャンスや可能性を潰していいということにはならないということです。
 今一度、日本のバレーボールにおける「育成」をみなさんと考え、イノベーションを起こしたいというのが夢です。
 すべての子どもたちが、大きな夢や目標に向かって、生き生きとバレーボールを生活の一部にすることができる。そこに線引きも選別もなく共有されるべき、コンセプトやビジョン、フィロソフィーやバリューがあるはずです。



 お恥ずかしい話、私は、友人とボーリングやカラオケ、ゲームセンターに行くのが昔から好きじゃありませんでした。なぜなら、「下手な自分」に対するコンプレックスが強く、楽しめなかったからです。でも、周囲はそんな上手下手に関係なくみんな「楽しむ」ことを目的としていますよね。

 バレーボールのプレーや結果というのは、因果関係が複雑に絡み合って形成されます。そしてミスが起こって当たり前のスポーツ。プレー中はミスをしたあとに、いかにして素早く次のプレーの意識を切り替えるかが重要。そのあとで、なぜミスをしたか、どうすれば同じミスを繰り返さないかを振り返り考えることを怠らないことで、次へのモチベーションへとつなげます。これはバレーボールに限らず、どのスポーツに限らず、人間生活の作業として必要な営みですよね。

 (大人への)お茶出しやあいさつで気が利く選手は試合中のプレーにも生きると言われて指導(教育)されていることも多い(自分もやらせていた時代がある)ですが、そもそもバレーボールというゲームの中の「気づき」を生み出すためには、バレーボールの中の情報や知識がないと気づきにならないわけです。だから、バレーボールの試行錯誤や主体的な工夫をしないまま、他の生活場面での気づきばかりを求めても、バレーボール選手としてのレベルアップには限界がくる。

 すべての子どもたちが、またはすべての大人たちが、
「バレーボールと出会ってよかった」、「バレーボールをやってよかった」
 そうなるために、
 それぞれの「今」やっているプロセスが「夢中」で「楽しい」状態であること。自分が考えていることを表現しても非難されて評価を下げられず自分の立場が脅かされない心理的安全があること。いいものをつくりあげていくために、膨大な時間をかけて試行錯誤を確保でき失敗が許される安心してチャレンジできること。
 こういったことを、バレーボールを通して経験していくことで、ある者はアスリートとして、ある者はコーチやティーチャーとして、ある者はマネジメントやビジネスとして、ある者は親として・・・とにかくあらゆる社会や人生のステージで、生かされていく。これが、「すべての人々がハッピーになる」ということに通ずるんだと思います。

 何かの試練を乗り越え生き残った者たち、勝ち続け成功のレールだけを進んできた者たち、過去のキャリアやステータスを得た者たち・・・一部の人間だけのための幸福だけではなく、「すべての人々・すべての子どもたちに」にバレーボールは何ができるか?
 これが「育成」だと思います。

 いよいよ来年は東京五輪があります。日本代表男女の活躍はもちろん、私たちが住む国で、世界のバレーボールの「ガチ勝負」を観ることができることへの期待感をもちながら、同時に日本のバレーボールのさらなる発展やイノベーションの元年となる1年になればいいなと願います。

 みなさん、今年も1年間お付き合いいただきありがとうございました。よいお年をお迎えください。

Thank you very much for your personal relationship that you extended to me throughout 2020.


(2019年)

2018年12月30日日曜日

2019年を「バレーボール育成元年」に。「育成の世界標準」の議論を。

 2010年の世界バレーで、日本代表女子チームが32年ぶりの銅メダルを獲得したあとから、日本のバレーボールの中でも技術や戦術の「世界標準とは何か?」という議論が起こるようになりました。
 当時から、世界のバレーボールをリードしてきた、ブラジル男子のバレーボール戦術をアップデート例として、セッターからのバックアタックのバリエーションやブロック戦術、そしてその中で果たすべきセッターやリベロの機能など・・・日本ではそれらを「世界標準」として考えられるようになってきました。
 2000年代に入ってからは、そのようなシステムはブラジルの専売特許のようにしばらくはブラジル男子が世界の先頭を走ってきたわけですが、やはり次第に他の台頭国の出現がみられるようになります。アメリカ男子やロシア男子・・・近年ではポーランド男子なども力をつけており、どの国も2000年代初頭のブラジルがやっていたゲームのエッセンスを標準装備し、戦っているのがわかります。
   
 日本でなれるようになった「世界標準」というテーマのもとでの議論は、80年代、90年代、2000年代初頭にわたる、日本のバレーボールの戦術のガラパゴス化ともいえる、世界の戦術の変遷やアップデートに追いていない状況とそれに比例するように国際的成績の低迷の中で、ようやく小さな一歩を生み出したのだと思います。その間、バックアタックというものが積極的行われるようになりパイプ攻撃もみられるようになってきました。クイック攻撃は時短的なセットアップ(はやいひくい)よりも、スパイカーのパフォーマンスの最大発揮を重視したものへと変わりつつあり、ブロックもようやく「リード・ブロック」を取り入れようとしている状況になっています。また、ブロック戦術に対抗するために、攻撃枚数の確保が必要となり、セッターへの返球であるファーストタッチも高くゆったりしたものが多くなってきました。

 しかし、その「一歩」というは、海外のそれと比較すれば、極めて小さすぎる一歩と言えるし、次の一歩またその先の一歩とはなかなか進みにくい、スピード感のなさも感じられます。「世界標準」という看板は、それ自体掲げている時点で遅れ感がにじみ出ているのですが、残念ながら、海外はもはや「標準」と言わなくても実践している「当たり前化」した状況になっています。情報技術はこの20年間で劇的に変わり、世界中どこでもリアルタイムでしかも映像での情報を入手することができます。バレーボールでも「データ」や「動作解析」などをコンピューターの力で処理できるようになってきます。
 ですから、国際的な、「情報戦」は激しくなる一方で、それは戦術のスカウティングにとどまらず、指導法や教授法、トレーニング方法まで、情報の発信も入手も解析もグローバルなものとなっているわけです。ですからブラジルのバレーが世界に吸収されるのも短時間である一方で、日本のこの「遅れ感」は由々しき状況ではないでしょうか?この状況や意識の差をなんとか埋められないかと思うわけです。
 その「遅れ感」を埋めるためにも、今一度「育成の在り方」を考えるべきだと思うのです。そしてただ考えるのではなく、積極的に「海外の育成」から広く情報を集め、吸収できる部分は吸収すべきだと思うわけです。



 このブログでは、日本のバレーボールの課題を「育成」、つまり小中高校生の子どもたちへのコーチングやトレーニングの在り方に大きな要因があると考え、さまざまな角度から話題を提供してきました。
 その「要因」というのは、一言ではまとめることのできない、大変複雑かつ根深い問題もはらんでいると考えています。
しかしながら、
・プレーヤーである子供ファーストになっていない指導者や保護者の欲求
・育成カテゴリであるはずなのに、熾烈な日本一争いに終始している
・選手の指導者や環境への依存と他律
・勝利至上主義と勝利最短主義
・固定化されたポジションなど大会での勝負を理由に一部分のスキルの完成だけ求める。
・指導者の学ぶ姿勢と学ぶ機会のなさ
・初心者に「カタチ」から入る指導
・指導者の試行錯誤なき安易な結果獲得欲求
・世界のバレーボール情報を受け付けない閉鎖性
・カテゴリ間の断絶
などなど、
日本のバレーボールがつまずいている育成の課題のその要因たるや、挙げだしたらきりがないくらい、課題山積なんだと思うのですが、遅々として議論も生まれなければ、変革も生まれないのはなぜでしょうか?

 まさに、「当事者意識の欠如」が深刻なんだと思います。
 カテゴリ間の連携も薄く、しかも責任の転嫁や課題の先送りが染みついてしまっています。

 2020年の東京五輪が迫ってきました。バレーボールの日本代表がより良い結果を出せるかももちろん注目すべき大切なことだとは思いますが、日本のバレーボールと「育成」を考える時、もはや2020年をどうするかよりも、2020年の東京五輪をいかにして良いターニングポイントにできるかが重要なんだと思っています。
 となると、その準備はもう時間がない。前年となる2019年に議論だけじゃなく、いろんなムーブメントが起こってほしいもんだと思うのです。

 そんな思いが芽生えつつある中奇しくも、2019年は「平成」という一つの時代が終わり、日本の新しい時代が始まります。
 私がバレーボールのコーチングに関わって十数年。こうして記事を書き出して10年余りが経過し、この間私なりに感じていることは、日本のバレーボールの課題や問題があれこれ表面化しつつも、なかなか改善や改革に着手できなかったことが多かったのではないかと思います。昭和の日本のバレーボールの財産だけでやってきた限界が表面化してきたのだと思います。
 ですから、新しい時代を迎えるにあたり、もう一度土台から考え直す、「育成の改革」が必要なんだと思います。
 そしてそのためには、まずは日本の独自路線を求めることよりも、海外の世界の主流を知り、実践し、そこから長短を洗い出す作業が必要なんだと思います。「日本の育成」は、そこから取捨選択することでなされていくと思うのです。





 私は、日本のバレーボールの育成現場における、主に指導内容の課題として挙げておきたいのが、

(1)技術をともなった判断、判断をともなった技術の練習プログラム
 一連のプレー動作をわざわざ細部まで分解するような誤ったスモールステップの考え方や試行錯誤なき型ハメ練習、さらには指導者から与えられたワンパターンな戦術の遂行などで育成された選手が、上のカテゴリに行くほど、世界との差が開いています。
 ネットを挟んだラリーの中から、連続的かつ瞬間的に最適な判断を積み重ねていくスキルを訓練しなければなりません。
 従来のクローズドスキル練習で終始する練習から、オープンスキルやゲームライクを取り入れ、同時にクローズドスキルのフィードバックを入れていくような、スパイラル的なスキルアップを目指す練習スタイルが、日本でも当たり前になっていかねばならないと思います。

(2)「システム化」から生み出す対応力と柔軟性(何となくからの脱却)
 とにかくプレーの型ハメ、戦術のワンパターン化からなかなか抜け出せていません。
 バレーボールは、「選手自身が」ネットの向こうの相手とボールを「見て」、「判断し」、「動く」という基本があるのに、指導者の理論武装に選手が巻き込まれる状況が多く見受けられます。
 では、どうやったら、本来あるべき、選手自身の主体的かつ能動的な思考判断と対応力を伴ったプレーを導き出せるのでしょうか?
 そこで必要なのは、「システム化」の再確認だと思います。
 スパイクにおけるテンポがあります。ブロックの配置や反応方法の違いがあります。サーブの狙い方と戦術的意図があります。レセプションシフトの変化があります。各ポジションの状況に応じた動線があります。
 このように、ボールと選手の状況から生み出されてくる、テンポ、ポジショニング、ボールの位置情報、選手の動線・・・これらは、ワンパターンなものであるはずがありません。そのためには、まずはいくつかの選択肢を与えそこから状況に応じて選択させる「システム化」があってもいいのではないかと思います。

(3)「試行錯誤」とコーチング
 「考えろ!」と選手に言っておきながら、考える方法や材料を教えていない。「工夫しろ!」と選手に言っておきながら、ミスやエラーを許さず時間的にも待ってくれない指導をしている。これでは、選手の自立だけでなく、思考判断力も育つわけがありません。
 「育成には時間をかけろ」これは、否定のしようのない事実だと思います。時間をかけるとは、2年3年では短いのです。数年十年かけて醸成していくのが育成だと思うのです。
 選手自らが課題を見つけ、次なる目標や欲求を持ち、そこに向けてトライ&エラーを積み重ねていく。そういった「試行錯誤」を選手ができるように、指導者はどうアプローチするのか。そこが「コーチング」だと思います。
 毎月、毎年、大会で結果を出すことを求める中では絶対に実現できないでしょう。

(4) オールラウンダー性、トータル性の重視
 このブログでも、日本のセッターの大型化が進まない問題、ミドルブロッカーの得点力不足の問題、日本のブロック力の低さの問題、ハイセット能力の低さやレセプション能力の低さ・・・こういった課題は、小学生バレーから始まる、「偏ったスキル指導」、「偏ったプレー経験」からくるものだと主張してきました。
 「育成」から「オールラウンド」という要素を外して考えることはできないと思います。必然的にオールラウンドを求める以上、やはり時間が必要となります。そして様々な機会や環境が必要となります。
 指導内容や戦術の分析も、データやエビデンスを踏まえ、局所的な正解ではない、マクロでトータルな考察も必要だと思います。
 このように長期スパンに立った、トータルでの育成の成功を目指す必要があるのではないでしょうか?



 こういったバレーボールの育成に関わるヒントが世界にはあるのを知っています。公開されている資料や文献だけでも十分知ることができるのです。日本の国際的な競技力向上を考える時、「育成の世界標準」を議論していくことは無視できないと思うのです。
 指導者個々人に育成の理念を期待するには限界があります。どうしても勝利の追及と効率化を求めてしまうからです。だから「育成」については、組織がある程度制度化しなければならないと考えます。
 2019年からはじまる日本の新しい時代、是非とも日本のバレーボールも「新時代」とも言える変化を、「育成」から生み出したいものです。そして組織的な取り組みを模索しなければいけないと思うのですがいかがでしょうか?


(2018年)

2018年1月1日月曜日

(コーチ向け記事)バレーボールのコーチング再考

Let me express the greetings of the season.
I wish you a Happy New Year 2018!
We love volleyball.

2018年、新年あけましておめでとうございます。
 
 昨年もコーチやプレーヤー、ファンの方々にたくさん支えられました。ありがとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 実は2017年年末にと東南アジアの国に行ってU15世代のチームと交流することができした。
 そこでは、決定的な指導アプローチに違いを感じました。そして、中学生のアティテュードにも明かな違いを感じました。
 ただ、「感じた」「見えた」というのが、あくまでも主観的な要素が多いし、それが何によって生み出されているのかが分からないままなので、日本の子たちに何をどうしたらよいかははっきり言えないのですが、ただ漠然と日本でのバレーボール指導は、これからもう一段も二段もステップアップさせていかないと、ますます世界の中で遅れをとるのではないかという、直感的な危機感におそわれたのでした。
 その国のトップレベルのU15チームと交流、対戦しました。ボールコントロールなどは、日本で言われるところの「美しさ」があるというより、外見上の粗さがあるようにも見えるのですが、ゲームにおいてまずボールが落ちません。ブロックは1枚になることはあまりなく、サーブも明らかに訓練されていました。特にセッターの通り道とクイック封じのコントロールサーブ、そしてサイドラインターゲットなどは訓練されていました。セッターとリベロも上手かったです。
 個々のボールさばきには個性が多少あっても、チームとしてはかなり組織化されていて、ポジショニングの正確さも見事でした。
コーチたちは、妥協しないところは妥協せず指導し、練習やゲームが終わったあとは、徹底的にミーティングしています。「ベーシック」という言葉をしきりに私たちにも言っていましたが、基本という概念も日本とは違うような気がします。「ボールを落とさない」、「自分の周辺ボールは落とさない」、「アタックは積極果敢に」、「ポジショニングを考えろ」・・・何か要求ゾーンには幅がありながらも当たり前なことを徹底させているような気がします。
 選手は日本の中学生と比べると、かなり大人びていて自立している印象を受けます。彼らの立ち振る舞いや練習態度から感じたことです。そして選手はみんな、自分がバレーボールが好きだからという気持ちがにじみ出ているのも印象的でした。

 日本のバレーボールの指導が、これからますますアップデートをしていかないと、いけないような気がします。
 バレーボールの歴史は、時代とルールの変遷によって、大きく変化していました。トレーニング方法も変わってきています。ところが日本のバレーボールの指導内容やアプローチ、指導観は、世界の変化に比べて、アップデートが鈍いです。
 よくナショナルチームレベルで、戦術論やプレー論が比較考察され、議論が展開されていますが、私は育成世代で世界で何が行われているのか?どんなタクティスやツールを用いてコーチングされているのか?それがトップカテゴリにどのような影響を与えているのか?それこそが学びたい内容であるし、日本のバレー界の閉塞感を動かす力の一つになると確信しています。



 実は、私、大学を卒業して随分たったこの歳になってから、英語を学びたいと思い始め、ちょっとだけ勉強を続けています。これがなかなか上手くならず困っています。
 そんな中、外国語学習について、専門家の友人から興味深い話を聞きました。言語の学習にもトレンドが時代とともにあり、変遷してきたというものです。当たり前のことですが、その時代のトレンドもいつか短所が明らかになると批判され、新たなトレンドが構築されていく。そのプロセスが、実は言語学習のみならず、バレーボールの指導にも当てはまる、私が考えていた日本のバレーボール指導のあり方にも符合するものです。

外国語教授法

このサイトに書かれている内容で、
以下、外国語教授法にある文章の一部をバレーボールに置き換えながら
引用しておくと
> それぞれの外国語(バレーボール)教授理論あるいは教授法は、それぞれの特徴を持っているが、やはり数ある外国語(バレーボール)学習法と同じように、善悪や優劣を決められるようなものではないだろう。
> 先に書いたことと重複してしまうが、英語(バレーボール)の学習法に関して言えば、それぞれの個人に合った学習法は、その人の英語(バレーボール)を学ぶ目的や既習レベル、性格や信念、好み等々によって変わってくる。
> 同じ目的を持って英語(バレーボール)を学習する人たちの中でも、適性や好みによって、各個人にフィットする学習法は大きく違ってくる。
> さらには、英語(バレーボール)学習を始める年齢や既習レベルの違いによっても、適した学習法は変わってくるものなのである。
> それぞれの教授法がそれぞれの特徴を持っているので、学習者にとって、‘自分に合っている’と感じられる教授法は個人個人で違ってくるはずである。
> 外国語(バレーボール)を指導している現場の教師たちの間でも、いろいろな教授法の要素を取り合わせた‘折衷法’が一番いい、という意見がもっとも多いようだ。
> もちろん、その‘折衷’的なやり方においても、学習者の適性などによって、柔軟に指導の仕方も変化させる必要があると思うが…。
> あるやり方がある学習者たちに効果的だったからといって、そのやり方がいつでもどんな学習者に対しても効果的であるとは限らないからだ。
> 教師(コーチ)の指導法の理想を言えば、教師(コーチ)はいくつもの教授法に熟達し、学習者の条件に応じて臨機応変に適当な教授法を使うようにするのが望ましい、ということになる。
> 常にどんな学習者に対しても効果的であり、最も正しい教授法、というのも存在しないと思う。

 個人的に考察しているのは、日本のバレーボール指導は、言語学習の変遷で言えば、1960年代~1970年代の教授法が根強く残っていると思います。オーディオ・リンガル・メソッドなどといった教授法が、日本のバレー指導スタイルに近いんじゃないかと思うわけです。
 その特徴は、
 ・型のインプットと反復トレーニング
 ・型の再現力
 ・ティーチング要素が強い
 ・正確さが要求される
 ・失敗は避けるべきもの
 ・指導者(コーチ)中心、主導
 ・項目を順を追って組織的に教える

 昨年2017年、バレーボール界の一部では、指導における「プレーヤーズ・ファースト」の概念や「試行錯誤」の重要性が話題になったような気がします。
 私は、いずれも「プレーヤーズ・ファーストだ」、「試行錯誤しろ」と指導者が言うものではなく、「そうなるべきもの」だと考えます。
 私たちバレーボール指導者は、いかに効率よく勝てるか?いかに効率よく確実にスキルアップできるか?何かいい特効薬はないのか?ばかりを追い求めてきたと思いませんか?要するに、「楽をしてきた」のだと思います。思考停止をしているのは、選手以上に指導者がそうなっているのだと思います。指導者は選手に「考えろ!」という前に、まずは自分自身が「深く考える」ことが必要だと思います。だから短いスパンの一時期で成果が出ない選手(子どもたち)は、バーンアウトしたりリタイヤしたり、発掘のまな板から落とされてしまってきたのです。
 言語学習では、指導者からの一方向的な指導だけでは限界があることから、コミュニカティブ・アプローチに軸足が移行していきました。
 その特徴は、
 ・状況への柔軟な対応
 ・実践力→(言語:コミュニケーション、バレーボール:ゲームセンス)
 ・学習者からのアウトプット
 ・個に応じたコーチング
 ・失敗は習得に不可欠なもの、貴重な教材
 ・学習者(選手)中心
 ・「インフォメーションギャップ」「自由な選択があるか」「フィードバック」の3要素を把握、設定する

というポイントがあろうかと思います。これ、言語学習だけじゃなく、バレーボール指導にもまったく符合することだと思います。

 強調したいのは、どの指導アプローチが正解かではないということ。
 パターン練習とランダム練習
 クーロズドスキル練習とオープンスキル練習
 スコアリングスキル練習とノンスコアリングスキル練習
 分習法と全習法
 
 適宜、どこでどの場面で取り入れるかがコーチの手腕。
 そこを日本のバレー指導者が考え方を変えないと、ますます世界に取り残されると断言できます。
 小中学生のバレーボールコーチは、もちろんシニアやナショナルチームのバレーボールにも知見を持たねばならないし、コーチングできなければいけないと思っています。逆にトップレベルのコーチやトップカテゴリのコーチは、育成世代の子どもたちや初心者にもより良い指導を提供できなければならないと考えています。
 でも、日本では世界の中でもさかんにバレーボールが行われているにもかかわらず、指導者は自分のカテゴリに安住してあぐらをかいているのではないでしょうか?もっと指導の在り方やメソッドの内容を掘り下げて学び、さまざまな場面でさまざまな対象者に常に良いコーチングを提供できなければいけないと思うのです。

 2018年は、今まで以上に、日本のバレーボールの「指導者」や「コーチング」に焦点があたることを期待しています。
 本年もよろしくお願いいたします。
 ああ、英語が話せるようになりたいです(笑)


(2018年)



2017年1月6日金曜日

「育成の実現」とは?

 近年、どの競技でも「育成」の大切さが言われるようになってきました。重要な国際大会で頂点に立った国や競技の成功の要因のひとつに、「育成」現場の改革が挙げられる例も珍しくはありません。
 一言に、育成とか選手を育てると言っても、その中身には幅があって、例えば所属するチーム内でのスパンなのか、カテゴリを超えたスパンなのか。特定の選手を対象とするのか、幅広くプログラムを提供するのか。「育成」という言葉を使っている場合、どのようなものとして捉えているのかは、注意しなければならない点だと思います。

 さて、日本のバレーボール界において言われているところの「育成」とは、どんな意味合いで用いられているのだろうかと思う時があります。そこに、どの程度関係者の本気度があるのだろうか?ということも併せて考えちゃいます。
 みなさんご存じの通り、日本のバレーボールの現状は、いろいろと大変な状況になっています。というのも今に始まったことではなく、もうすでに20年、30年前から始まっているわけですが、近年は本当に大変です。
 そんな中、言われる「育成」ですが、
  
  ① 細く長く型、細長いピラミッド型の育成
  
  ② 太く長く型、山脈型の育成
 
とがあると思っています。

 ①は、有能な選手を絞り込み、絞り込まれた特定の選手に対し、指導環境を提供すること。

 ②は、とにかく幅広い人を対象にプログラムを提供し、それぞれの自身の判断で自らの道を選択できること。

 本来は、②であるべきだと思っています。ところが、日本のバレーボール界で言われている「育成」は①となっていると思います。

 個人的には、①は狭い意味での育成だと思います。小学バレーで活躍した選手が中学に集まり、中学で活躍した選手が高校に集まり・・・そうやってリクルートされながら、上のカテゴリまで残ったエリート型の選手を輩出することを育成と言われていることが多いです。
 しかし、これは同時に、その時点でリクルートの対象にされなかった大勢の選手たちがいるわけで、ではその選手たちが能動的積極的に自分の望む環境を選べたかといえば、選ぶこともできず、その後に遅咲きの成長をしても、もはやレールから外れてしまっては見出してもらえるチャンスは狭められてしまうわけです。
 ①は、どちらかというと、「育成」というより、「選抜」なのだと思います。

 小中学生の育成世代とも言える子どもたちのスキルアップの方向性にいろいろ試行錯誤されている方はたくさんいるかと思います。小学生のうちから休日返上でびっちり練習するところもあれば、週2~3回程度にのんびりやるところもあろうかと思います。それぞれのチームの方向性や目標も違っているので、様々な活動のカタチがあるのだろうと思います。









 

例えば、習得させたいスキル一つ一つをコップに見立てます。
そしてコップの大きさや容量、形を選手一人一人の個性、能力の個人差だと考えます。
そのコップに水を注ぐ作業が、練習だったり、学習、経験だと考えます。
コップが水で満たされたら、目標とするスキルの習得がなされるとイメージします。
与えられる水の量は一定です。つまり私たちに与えられた時間であり身体です。

そう考えると、子どもたちへのコーチングの見方に新しい感覚は出てこないでしょうか?

 1つのコップに集中して水を注ぐということは、1つのスキルに絞って練習をさせていくということです。レシーブだけ、とか、スパイクだけ。または特定のポジションの動き・・・そういった考え方になろうかと思います。

 一方で、いくつか用意されているコップに均等に水を注ごうとします。コップの水は均等に水が入りますが、当然、コップが水で満たされるまでには時間がかかります。

 ここで気をつけたいのは、コップは、一人一人の個性と考えますから、コップの大きさも形も人によって違います。しかも、それらの形状は自分はおろか、誰かが見ようとしても見えない、姿の見えないコップなわけです。どのくらいの量を注げば水が満たされるのかは、わかりません。また注げる水自体も眼に見えるものではありません。

 こう考えていくと、子どもたちに、バレーボールの練習をさせていく時、どのようなアプローチがいいものだろうかと考えさせられます。
 個人のスキルアップを、水の分配でイメージしてみたわけですが、もう一つ考えなければならないのは、チーププレーとしての視点です。
ディグのコップは水満杯だけど、ブロックのコップには水ゼロ。
スパイクのコップは水満杯だけど、レセプションのコップはゼロ。
そういった長短はっきりしている子どもたちが明確な分業のもとでゲームを成り立たせる場合があります。
 一方で、どのメンバーも平均的に各コップに水が注がれているも、いずれのコップも水は半ばくらいまでしか注がれていません。全員がそこそこのスキルをもって、トータル的にゲームにあたる場合もあります。実際は、それでも各々の特性や長短を考慮するわけですが・・・。

 どれが正解か?ということではなく、「育成」をしなければならない時期に、どのように練習や指導を考えたらいいのでしょうか?ということをたまに立ち止まって考えなければいけないのではないかと思うわけです。
 水をたくさん注ぎたければ、水道の蛇口を開き続けなければなりません。つまりは練習をし続ける、いかに練習量を稼ぐかということになるのでしょうか?でも365日朝から晩まで子どもたちに練習を強いるのは賛同できません。



「育成の実現」って「早期の完成」と同義ではないと思います。

どんなカテゴリにおいても、いい選手に出会う確率を上げること。
 早熟の選手だけが、エリート的な狭いレールに乗るだけじゃなく、後から能力を開花した選手も、活躍できるようにしなければなりません。選手の発掘は、宝探しとは違うと思います。「探す」なんていう他力本願な発想ではなく、「育てる」ことで、いい選手に出会う確率を上げたらいいのだと思います。
 そのためには、バレーボールに出会ったすべての人が、その後のモチベーションを維持し、「やりたい!続けたい!」と思わせることが大事です。
 指導者は、1年や2年での短期スパンでの完成を求めていれば、上手くいかないことも多くなります。早熟出来ない選手は切り捨てられていきます。ですから、育成においては、個人の地道なスキルアップを評価できるようにしなければなりません。
練習では、指導者の頭ごなしな指導や強制的な訓練ではなく、「そうなるように」、「一緒に」、「試していく」ようなドリルを見守ることが重要です。オールラウンドな練習も当たり前にしておきたいです。スパイクやブロックはできても、ディフェンスやセット(トス)ができない。逆に身長が低いからと言ってスパイクやブロックをやらせてもらえず、ディフェンスばかり教え込まれる・・・。偏ったスキルのまま上のカテゴリに進んでいけば、上のカテゴリでの強化のタイムロスになっていきます。
 チームフォーメーションでも、いきなり選手を固定したりポジションを専門家するのではなく、6-6システムを導入に、柔軟に複数のポジションに対応できるよう、段階的に編成していくべきです。 
 小学生に複雑なコンビネーションを伴う攻撃を教え込む必要があるでしょうか?それを優先することによって、早熟じゃない選手は「できない」レッテルを貼られてしまいます。その結果様々なスキルのプレー経験を奪われます。できる一部の子をセッターとしスパイカーに固定していく現象が進んでいきます。
 何も、ブラジル男子がやっているような、シンクロ攻撃を小中高校生でやることが必要不可欠なわけではないと思います。その前に各カテゴリでは、「できる選手」だけを優遇するのではなく、全員がトレーニングを受け、全員が習得を目指すようなプログラムや内容があるべきです。少なくとも中学生カテゴリまでは、「オールラウンドな育成」は絶対必要だと思います。極端に言えば、誰もが高校カテゴリ以上でセッターやリベロを務められるようにしておくことが理想だと思っています。

 世界的なトップレベルのバレーの推移をみても、戦術の発展に伴い、現在は個人のプレーのオールラウンド化が求められ、勝敗に影響を与えているような気がします。セッターは、ブロック力も求められるようになっているし、リベロはセカンドセッターとしてのセット能力が求められてきています。ミドルはブロック要因だけじゃなく、バックアタックやリベロを不要とするディグやセット能力が当たり前のように求められています。日本の育成現場もかなり遅れをとっているようです。

 クリニックなどの機会で、例えば大学の指導者が中学生を指導したり、中学の指導者が小学生を指導したり、異カテゴリ間の練習場面の機会をみていると面白いです。実に「のんびり」「丁寧に」指導されていることが多いです。ところが、自分のチームになると、苛立ちを覚えたり選手に高圧的になったりすることも珍しくありません。指導者と選手間の距離感や、ニーズの切迫感が違うからだと思います。面白いもんです。だったら、自分の選手にも、丁寧にじっくり接することは可能だと思います。「勝ちたい」「実績を出す」「指導力の有無」・・・結局は指導者のエゴの論理で動いていることが多いのだと思います。

 世界に通用するバレーボール選手の育成の実現にはまだまだ険しい道のりがありそうです。


(2017)

2016年11月26日土曜日

バレーボール指導者に勧めたい最近読んだ本

 最近は、バレーボール関連書籍以外の本で、指導の向上につながるものを探して読んでいます。どうしても、売られているバレーボール関連の書籍は、ハウツーものが多くて、それらを模倣するだけでは、なかなか自分の指導が変わっていかないのを感じています。

 著者、出版等はリンクをクリックするとわかると思います。ご参考までに。
















(2016年)